アレッサンドロ・デル・ピエロについて知る
一番好きな選手を、よりよく知る為の勉強がてら、皆さんにも「デル・ピエロ」のすごさを知って頂こうと勝手にまとめました。
今後もユベントスの特に好きな選手をまとめていく予定です。
完全に自己満です(笑)
アレッサンドロ・デル・ピエロ
出典:ユベントス公式サイト
プロフィール
愛称:アレ、アレッサンドロ、ピントゥリッキオ
国籍:イタリア
生年月日:1974年11月9日
身長:173cm
体重:73kg
ポジション:FW
通算成績
クラブ
年 | 所属クラブ | 国 | 出場数 | 得点数 |
1991- 1993 |
カルチョ・ パドヴァ |
イタリア | 14 | 1 |
1993- 2012 |
ユベントス | イタリア | 513 | 208 |
2012- 2014 |
シドニーFC | オーストラリア | 48 | 24 |
2014 | デリー・ ディモナスFC |
インド | 10 | 1 |
代表
年 | 所属クラブ | 出場数 | 得点数 |
1991 | イタリア U-17 |
3 | 1 |
1992- 1993 |
イタリア U-18 |
14 | 12 |
1993- 1996 |
イタリア U-21 |
12 | 3 |
1995- 2008 |
イタリア | 91 | 27 |
タイトル
クラブ
- セリエA(1994-95、96-97、97-98、2001-02、02-03、11-12)
- セリエB(2006-07)
- コッパ・イタリア(1994-95)
- イタリア・スーパーカップ(1995、1997、2002、2003)※スーペルコッパ・イタリアーナ
- UEFAチャンピオンズリーグ(1995-96)
- UEFAスーパーカップ(1999)
- FIFAクラブワールドカップ(1996)
代表
- FIFAワールドカップ(2006)
個人タイトル
- UEFAチャンピオンズリーグ得点王(1997-98)
- セリエA得点王(2007-2008)
- セリエB得点王(2006-2007)
- コッパ・イタリア得点王(2005-06)
- FIFAクラブワールドカップ最優秀選手(1996)
- イタリア最優秀選手(1998、2008)
- ブラヴォー賞(1996)
- ゴールデンフット賞(2007)
その他
- UEFA Golden Jubilee Poll(2004)
- FIFA100(2004)
- 20世紀の偉大なサッカー選手100人(77位)
- ESM Team of the Year(1995-95、96-97、97-98)
- ユベントスクラブ歴代最多得点記録
- ユベントスクラブ歴代最多出場記録
ヒストリー
1991年から、カルチョ・パドヴァでキャリアをスタートさせ、パドヴァで2シーズンを過ごした後、ユベントスに移籍。
ユベントスでの最初のシーズン(93-94シーズン)は、背番号10番のロベルト・バッジョの存在もあり、スタメンに定着することはなくとも、着実に結果を出していました。
1994-95シーズンはロベルト・バッジョの不調もあり、少しづつ出場機会を増やしていき、95-96シーズンにはロベルト・バッジョのACミランへの移籍により、ユベントスの10番を継承。
以降2012年までの17年間、ユベントスの10番としてチームを背負ってきました。
1998年11月左膝十字靱帯断裂などの重傷を負い、選手生命の危機に...
膝の手術を行い、9か月のリハビリ後に復帰するも、以前の調子を取り戻せず、スランプに陥ってしまいました。
2000-01シーズンから復調の兆しを見せ、翌シーズンには、リーグ16得点を記録し完全復活を果たし、4年ぶりのスクデット獲得に貢献。
その後もコンスタントに結果を残してきましたが、05-06シーズンには、加入2年目のイブラヒモビッチが当時の監督(カペッロ)のファーストチョイスとなり、サブでの出場が増加。
しかし、スーパーサブとしてリーグ12得点を記録し、リーグ7得点のイブラヒモビッチを上回る素晴らしい活躍をしました。
2006年に発覚したカルチョ・スキャンダルでセリエBに降格した際、マンチェスターユナイテッドからオファーが来るが、これを断り、真っ先にチームへの残留を表明。
彼に続くように、ネドヴェドやトレゼゲ、ブッフォンらも残留を決意。
セリエBでは得点王に輝く活躍を見せ、1年でチームをセリエAに復帰する原動力となりました。
カルチョ・スキャンダルについては以下の記事から
セリエAに復帰した2007-08シーズンでは、自己最多タイとなるリーグ21得点を記録し得点王に輝き、史上2人目となる、セリエB、セリエA連続得点王の快挙を成し遂げました。
以降も素晴らしい活躍を続けましたが、2011-12シーズンにユベントスを退団し、シドニーFC(オーストラリア)、デリー・ディナモスFC(インド)と渡り歩きました。
プレースタイル
デルピエロの最大の特徴は、シュートのうまさ。ゴール向かって左45度からのコントロールシュートの決定力の高さはかなりのもの。このエリアを通称「デルピエロゾーン」といい、沢山の得点をあげてきました。
シュートパターンも様々で、数々の素晴らしいゴールを演出しましたし、劇的なゴールが多かったというのも印象強いです。
また、利き足でない左足でのシュート精度も高い為守りづらく、守備側からしたら非常に相手にしたくない選手だったのでは(笑)
彼の素晴らしさはシュートのうまさだけでは無く、ボールコントロールも一級品。
背後からのロングフィードをファーストタッチで綺麗におさめ、キックフェイントやシュートなどすぐに次の動作に移すことが出来ます。
キックフェイントもバランスを崩さず行える体幹の強さも彼の魅力。
このボールコントロールのうまさ、体幹の強さから生まれるドリブルは、なかなか止めることが出来ず、簡単に持ち上がることが出来てしまいます。
彼の素晴らしいドリブルはこういった強みから、生み出されていると言えます。
更に付け加えて、彼の独創的な発想は誰も予測することが出来ません。故に、スルスルと持ち上がることをより容易にしています。
「独創的な発想力」、それを実現する「足元の技術」、魅せるプレーで終わらない「高い決定力」から彼は「ファンタジスタ」と呼ばれています。
その他
デルピエロはかなりの親日家としても有名です。日本が好きな理由は、小学生の頃に自由に国を選んで発表するという授業で日本を選んだからとか(笑)
私は似たような授業でイタリアを選び、理由は「形がいい」ただそれだけでしたが、そんな感じなのでしょうかね(笑)勝手に親近感
2011年3月11日に起きた東日本大震災の惨事を知り、イタリア国内でもいち早く行動してくれました。チャリティー用に自らデザインしたTシャツを販売し、その売り上げを寄付を発表しました。
出典:SOCCER KING
現在は米3部リーグのLA10FCというクラブのオーナーを務めており、新たなサッカー人生を歩んでいます。
LA10FCについて書いた記事
※まだまだ勉強中(笑)